4月28日4月28日午後11時、東京駅集合。社内の知人の紹介で、被災地へ向かうボランティアのグループに参加することができた。25人乗りのバスで宮城県の石巻へと向かう。
持ち物は、寝袋、ビニール手袋、軍手、長靴、マスク、ゴーグル、雨具、汚れてもいいジャンパー、自分の分の食事と水など。テントはグループの数名が用意してくれた。けっこうな大荷物でバスに乗り込む。このバスのリーダーは直前の都知事選にも出馬した雄二郎さん。俳優やMCの顔を持つ彼が、熱い感じで、仲間をまとめている。
今日は3月11日からちょうど49日ということで出発の前に黙祷。
4月29日途中3回の休憩を入れながら、朝5時過ぎに、石巻市に入る、途中のサービスエリア、道路などは宮城県に入ってからもほとんど震災の爪痕はなく、いつもと変わらない様子。道路を応急措置で直したのが、少しガタガタしているような印象だけが残る。4時30分すぎにはもうあたりは明るく、朝焼けがやたらと美しい。
風景が変わってきたのは、東北自動車道を降りて、海岸へとしばらく向かってから。半壊、一部崩壊と、壊れた家が見えてくる。交通事故にあったようにぺちゃんこになった車が積み上げられた空き地。数十のアーミーカラーのテントとトラックがずらりと並ぶ自衛隊の基地。そんな見慣れない風景が飛び込んできた。石巻のボランティアセンターになっている石巻専修大学に着いたのは5時30分。
まずは、25人で6張ほどのテントをたてて、仮眠。キャンパスの芝生の上にはすでに200ほどのテントが立てられている。

8時30分 ボランティアセンターの受け付け開始。新規、継続に分かれて、毎日住所、氏名を記帳。「車を使える方いますかあ」のボランティアリーダーの声に、手を挙げる人がいると、「あと何人乗れますか」と聞かれ、集まっているボランティアをその人数分乗せていく。車からあぶれた人は、バスに乗ってボランティアセンターから10分ほど走った現地へ。
ボランティアするエリアは、ほとんどが半壊の家のエリア。私たちが作業をしたエリアは津波の水に1メートルくらい浸かり、2日間ほど水が引かなかったという。道路の両脇には、水に浸かって使い物にならなくなったふとん、バラバラに壊された家具、錆びついた家電製品、泥の詰まったどのう袋などが、両脇に積み上げられていて道が狭くなっている。
一日目のボランティア活動は、どぶに流れ込んだヘドロをかき出す作業。どのう袋と呼ばれる薄い麻のような袋にかきだした泥を入れる。どのう袋をバケツにセットし、泥を入れ、いっぱいになったら取り出して縛る。200メートルほどのどぶで50人くらいのボランティアが作業をするので、1時間半弱で終えることができた。
ボランティアの数は多いように見えるが、一つのエリアの作業に比較的短い時間で結果が出されることが、こういった果てしない作業のコツなのではないかと思う。自分一人のやれることは小さいが、たくさんの人がいると、「こんなに!」と思える状況が目に見えて変わっていくのを見ることができる。今もヘドロは下水のにおいがして、マスクが必要な状況だが、これから夏にかけてますますひどくなっていくだろう。
お昼の休憩は1時間。持ってきたおにぎりを食べる。近くに「ヨークベニマル」というスーパーがあり、トイレを借りる。通常通り営業している。買い物客も普通どおり。品切れをしているものもないようだ。フードコートではラーメンやたこ焼きが売られ、焼き立てパンも並んでいる。
午後は、別のエリアで同じ作業。午前中はなんとなく、手があいたりと、うまく回らなかった部分も午後はずっと効率的に連携ができ、作業がぐんとレベルアップしていく。人の力が集まった時の大きさを感じる。ボランティアの作業はすべて16時で終了の決まり。片づけも含めて16時に終える。
ボランティアの人たちはほとんどが若い男性で、女性は5人に一人くらい。東京、九州、関西そして海外と世界中からボランティアが集まっている。家が流されて自分の家でできることはないからとボランティアに参加している地元の若者もいる。がっちりガテン系の男性もいれば、細身にピアスのおしゃれな男性も。みんな同じように一生懸命働いている。女性は力ではかなわないが、バケツにどのう袋をセットしたり、縛ったりする作業もある。
バスに乗ってボランティアセンターに戻る。まだ明るいがテントで一休みすると、もう寝入ってしまいそう。ちょっと休んでから、少し食糧補給。同じテントには30代の女性が4人。その一人からもらったアルファ米の非常食「五目おこわ」を作って食べてみる。水を100ccくらい入れて1時間。温かくはないけどけっこうおいしい。夕暮れにあたりを散歩。もう一カ月もテントを張っている人や、テントで美容院をやっている人もいる。
夜になると、ゆで野菜とカレーの炊きだしが始まり、ボランティアにふるまわれた。本格的に煮炊きをしている人たちもいる。仮設トイレや水は十分にあり、携帯の充電をできる場所や、自動販売機もあった。
4月30日2日目のボランティアは、個人宅を3軒回った、1軒めでは、男性陣が重い家具を外に出す仕事。津波で水を含み開かなくなっている引き出しをバールでこじ開け、中のものを出す。家の人に確認をしてもらわなくてはいけない大事そうなものと、あきらかに捨てざるを得ないものを区別する仕事を女性がやった。

引き出しの中には手紙の束や、通帳、書類などが入っていてすべて濡れている。家には中年の女性がいたが、ここに住んでいたのはお年寄りのご両親でお父さんはつい最近避難所でやっと見つかるまで安否がわからなかったという。
家は1階が水に浸かっていたので、床下にもヘドロが入り、もう住むことをあきらめている様子。庭にもヘドロがいっぱいに入っていて20センチくらいのコールタールのような真っ黒な泥が庭に積もっている。このヘドロをどのう袋に入れて道に出す。畑や自然の野原にも同じようにヘドロが積もっているとすると、これは本当に再生が難しいと感じる。
15人くらいのボランティアでひとつの庭を片づけるので、2時間くらいで終えることができた。これを自宅の人だけでやろうとするとその果てしない作業に気持ちが持たないだろう。
昼休みに、海岸の被害のひどかったエリアに歩いて行って見る。半壊から全壊。一階部分がすべてさらわれて柱だけが残った商店。2階が傾いて今にも落ちそうな鉄筋の商店。車が建物に突っ込み、道路に船が打ち上げられ、橋の欄干がガタガタに壊れている。信号も消え、人通りはほとんどなく、街がゴーストタウンのようになっている。

午後も2軒の家に行き、ヘドロのかき出しやどのう袋に詰める作業を行う。

ゴールデンウイークのボランティアの受け付けは30日の時点でほとんど締め切ったというが、作業はまだまだある。ボランティアの振り分けや、シャベルなどの準備などが追いつかないのだろう。
一度にたくさんでなくていいので、長い間誰かが行っていることが必要だと思う。そして心配なのが、片づけたどのうや、家から運び出した壊れた家具、電気製品やスクラップとなった車がいつになったら回収され、どこに捨てられるのだろうということ。一度集めたごみが、どんどん汚くなり、また崩れていく。
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